2014年12月20日

純粋に知りたいのか、野次馬なのか…

山手線新宿駅で人身事故。人を跳ねた山手線を人々は・・・異様な光景

事故に遭った山手線の車両の写真を撮る人たちの行動について彼と話し合いました。

今回のことについて、わたしは、自分だったら写真を撮ることはしないけれど、写真を撮った人のことを頭おかしいとか信じられないとかそういうふうに思えませんでした。誰にでも野次馬の感情はあると思うし、不謹慎であっても写真を撮る人がいるのは仕方ないことなのじゃないかなあと。カメラを向けるという動作をすると、写真を撮っているということが明らかだけど、「知りたい」と思ってしまう限り起こりえることじゃないかな、って。

彼はちょっと違う意見をもっていました。あの状況で写真を撮るという動作はやっぱり異様で気持ち悪いって。というのも、多くの人は何が起こったのか知るためにカメラを向けたのではなくて、何が起こったかある程度分かったうえでカメラを向けたわけで、それは「知りたいという人間の純粋な気持ち」なんかじゃないって。例えばそこに居合わせたのが自分ひとりだったらやらなかったかもしれないことも、誰か他の人がやっていたら「いいんだ」と思って真似する人が出る、それが連鎖する、そういう構図が異様なんだって言っていました。

おそらくテクノロジーが先を行き過ぎて、人間らしさとか人間臭さがそれについていかないのだと思います。携帯電話があれば片手で簡単に写真が撮れてしまうという事実に対し、それが不謹慎だという倫理観が葛藤しているというか。こんなことをいうのはなんですが、今回こういうことが話題にあがること自体が、人の心が健全な証拠なのではとすら思ってしまいます。例えばグーグルグラスのようなものをだれもが装着するようになって、視線をそこにやるだけで簡単に写真が撮れるようになってしまったら、その時は今回話題になっているような倫理観はどうなるのだろう。誰も写真を撮る構えなんかしていない、でも皆が写真を撮って興味本位で拡散して…。あるいは、そちらを見るだけで不謹慎だと騒がれるようになるのかな。