2011年9月6日

かすかに秋の予感

会社を出るとすうーっと肌寒かった。朝にはまだツクツクボウシが鳴いていて、午後オフィスから外出をしたときにもぺたっと肌に空気が纏わりつくような夏の空気の感覚があった。でも仕事終わり、オフィスを出ると突然季節が秋に変わってしまったような気がした。

季節の変わり目が好きだ。

一番好きなのは秋から冬にかけて。寒いには同じなのだけど空気が一瞬固まるような冷たい冷気が時々やってくる。その感じが好き。冬から春にかけても好きだ。気温は低いのに太陽がちょこんと顔を出して暖めてくれる、空気の止まったような瞬間を発見するのが好き。

そして今の、夏から秋にかけても好きだ。暑い、暑いとうだうだ言っていた盆あたりからそんなに日も経たないのに、朝玄関を出た瞬間、さあっと秋の風が顔を撫でる。そのひんやりした空気に触れた途端、ちっとも悪い事なんてしていないのに、誰かに見られているような、なんだか恥ずかしい気持ちなって、しゃんとして歩かなきゃ、って思ってしまう。この気持ちは何なのだろう。

簡単に言ってしまえば人肌恋しいということかもしれない。この不思議な感覚を誰かに共有したいと思うのかな。この涼しさが心の隙間に入って来ると変に感傷的になるような装置でも入ってるのかしらんと思ってしまう。だけどこれが「人肌恋しさ」だとすれば、「人肌恋しい」というのはなんと微妙な感情についた形容詞だろう。

名前のつかない感情を経験して、これはなんというのかしらと思案して、結局言葉にならないままその瞬間が過ぎていく。そういう瞬間がもったいない。この一瞬を言葉に置き換えてノートに貼り付けておきたい・・・昔はよくそう思っていたけれど、そうやって名前を与えられた感情が記されたノートは、そのあと一体誰が読む?それならそんな自分の感情を、消えてしまわないうちに誰かと分かち合いたいと思うのかな。それが人肌恋しさなのか。

感情も言葉も、自分のところに溜めてばかりいても何にもならないのだろうな。自分のもとから手放すこと、旅出たさせること、巡らせること。そうやって自分の位置が少しずつ見えてくるのかもしれない。