2012年5月6日

すべては役目を終えて

大切にしていたブーツが役目を終えました。


先日、お気に入りのブーツを履いて花壇の脇を抜けようとしたときに、花壇の角にふくらはぎをぶつけてしまいました。ガツンともバリンとも違う鈍い音がして、その時は何ともないと思っていたのですが、しばらくして見てみるとふくらはぎの筒のところが上から3センチほど、見事に裂けていました。

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大学生になった年に生まれて初めて買ったブーツでした。

当時の私はまだブーツを一足も持っておらず、よそいきでも運動靴でもない中途半端な靴を履き、変な格好ばかりしていました。にもかかわらず、「本革で、他に無いようなデザインのものに出会うまでは買わない」と変に頑なになっていて、「一足あると便利だし女の子らしくなるから、安いのでもなんでもいいから買いなさいよ」という母の助言を拒み続けていました。

それだけブーツへの羨望はあったのですが、秋口になるとデパートの売り場に何百何千と並ぶブーツを見るとそれだけで酔ってしまって、「このなかから一番を探さなきゃ」という妙な強迫観念を自ら駆り立てては気分が悪くなっていました。最後は「試着が面倒くさいし」という単純な思考に陥って、結局お気に入りを探しだせず。思いが強すぎて動けない癖は今も変わりません(笑)

友達と一緒にふと寄った京都駅の伊勢丹で今のブーツを見つけたとき、これ試着してみて、と薦めてくれたのは友達のほうでした。最初は「面倒くさいな」としぶしぶ踵を入れてみました。ところが履いてみてびっくり!シルエットから色から、脇についている小さなバックルまで一瞬で気に入ってしまいました。「これだったんだ!」と思うと胸がすぅーっと落ち着く感じがしました。

それでも大きな買い物に躊躇した私は、母に見てもらうまでは、と、当時家族の住んでいた名古屋の店舗に在庫があることを確認してもらい、帰省するときを待って買ったのでした。

買ったのは2003年の暮れだったので丸8年。最初は私の脚になかなか合ってくれず、靴ずれして歩けなくなることもありました。でも履けば履くほど馴染んできて、最後はすっかり自分の脚の一部のようになりました。朝はその日の天気を確認してから履き、思いがけず外出先で雨が降ったときは急いで帰って乾かしました。何度底を張り替えたことか、抱え込んで磨いたことか。

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きちんと手入れしていなかったために革の表面がはげたり、かすった傷がいつのまにか深くなったりして捨てるのだったら、後悔したかもしれません。でもこのブーツにはそういう経験をさせたくないと最初から感じていました。だから手をかけ、手をかけ。すると最後、こんなに鮮やかに裂けて終わるとは!大事にしていたブーツは散り際も立派で、もう何の未練もなく手放すことにしました。

今年の冬は新しいブーツを買うことになるのかな、と考えると、今から期待と不安の入り混じった気持ちになります。あんな素晴らしいブーツに出会えるのだろうか、あれだけの愛情をかけられるのだろうか・・・。でも人との間にも出会いと別れがあるように、モノとも出会ったら、別れなくてはいけないのだろうな。中学生のころ、大事な器だといって綺麗な焼き物を学校に持ってきてくれた国語の先生に向かって「それ、俺が割ったらどうする?」とふざけた生徒に対して先生が言った言葉が忘れられません。「形あるものはいつか無くなります。もし今日割れてしまったら、それでも構いません」。

役目が終わったブーツは喜んで見送って、これから出会うブーツを楽しみに待ちたいと思います。

2 件のコメント:

  1. 素晴らしいブーツだね。
    そのブーツの写真を見ると、そのブーツを履いた明日香ちゃんと一緒に行った所を思い出す。

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    1. Amy!コメント今気付いた!!ブーツ覚えてくれてたのね。嬉しい!好きな靴や服に出会うのも、人に出会うのと同じように貴重な経験だよね。

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